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「わ」は、我々の「輪」そしてそれが国になって「和」。和気藹々とした理想的な状態を表しているようだが、二音節以上の単語になると「悪い」「別れる」「忘れる」などマイナスイメージのものが多い。
「ゐ」は現代では使われなくなった音。ゐの字形が「為」から来ていることでわかるように、「為」など特定の漢字には「うぃ」という発音が充てられていたし、和語にも「ゐ」を含む単語はたくさんあった。「参った参った」を「まうぃったまうぃった」などと発音すると奈良時代の気分。
ワ行の「う」はア行の「う」と発音が同じということになっているが、本当だろうか。「植える」という動詞は古語ではワ行下二段活用であり、終止形は「植う」(2文字目はワ行の「う」)。これを発音するのに「うー」とは言わずに、「uwu」といった感じで二音節目に入る前に多少口をすぼめたのではないかと考えられる。よってワ行の「う」は固有の音としてやはり存在している。
「ゑ」も「ゐ」と同様。それにしても「るん♪」に見えてカワイイ。
「を」は現代ではひとつの単語にしか割り当てられないという面白い文字。文字という材料が限られている以上、ひとつの言語内ですべての文字の使用頻度は一定になるように調整されるのが常であるが、「を」はそこにあるだけで助詞だと分かりやすいので、変化から取り残されてしまった。
「ん」は、
といった感じで、五十音のそれぞれの音について、ときに感覚的に、ときに学術的に、ときにトンデモ学説的に思うところをひたすら書いていった。なので、言語学界では全く受け入れられないような説明・述語の使い方もまじっていたことをお断りしておく。
この作業は、恐らく読む者よりも、「この音について何を書こうか」と考えている私の方に多くの発見をもたらしてくれた。日本語で書かれた文章を適当に選んで、その中にお目当ての音を探しながら読んで、それがどういうときに使われどのような音感を文全体に与えるかという風に考えていくのは面白いので、是非一度やってみることをお薦めする。
情報リテラシーを語るときにスキャニングという言葉がよく使われる。たくさんの文章の中からキーワードのみを探しだし、自分の欲しい情報を効率良く手に入れるという読み方のことだ。私が今回おこなったのは音のスキャニングということになる。言葉は読み方によって無限の情報を我々に与えてくれる。音のスキャニングはその最もミニマルな方法ということになるだろう。