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 「人の世に熱あれ 人間に光あれ」という水平社の設立宣言。小林少年が読み上げたその文章は,ほんとは人の世に熱あれ “じんかんに”光あれ,と読むのだと習ったのはいつだったでしょうか。

 人間は人の間という文字を書いて,それを「にんげん」と読ませているんですよね。人の間=人。不思議な構造です。こういうのを挙げればきりがないですが。自ずから然り,と書いて自然(しぜん)。読み方を変えることで特有の意味を持たせているわけです。ところでこの文字通りの読みである人間(じんかん),この発想素敵だな,と新年ボケの頭で考えておりました。

 「やさしさ」が人間必須の徳のように喧伝されて久しくなりますが,このやさしさと親切や気遣いとを一番分けるのがこの人間(じんかん)の自覚の有無ではないかと思うのです。直接的に相手にとって好意であること,利便であることをすることはそりゃあ親切で気を遣っているでしょうが,相手との間に何があるかを一気に飛び越してしまって省みないことが時にはある気がします。

 例えば,「私は在日外国人なんだ」と友達がカミングアウトしてきた,という事態。相手を気遣って「それでも君は君だ,仲良くしような」と言うだろう方,そう少なくはないと思います。でも迂闊かもしれません。相手はもしかしたらこれまでとは違うスタンスで向き合うことを宣言したのかもしれません。これからどう接したらいいのか。これは難題です。

 相手との間にある壁のようなものを強烈に突きつけているわけです。相手の言葉と自分の言葉が錯綜する,そしてお互いの状況を如実に示す場所が人間(じんかん)です。この人間(じんかん)がどういった様相をしていて,どのくらいの広さで,などを考えることこそやさしさなのかもしれません。見えるわけないじゃないか,勿論そうです。そこには大いに想像力と相手の言葉への熟考が求められるわけで,そう容易くはないと思います。

 相手,相手たち,社会,そういったものとの距離と様相が分かれば,自然と自分の言葉も選ばれてきそうで,流石は水平社の宣言だなあと実感します。あ,この自然ってのは勿論「自ずから然り」ですよ。

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