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今まさに執筆中のレポート…というと聞こえはいいですが,追い立てられて書いているところのレポートのテーマが「あなたにとって“場所”とは何か?」というものです。珍しい主観的レポートなのですが,思い入れのある“場所”を辿ることでその意味を自分のアイデンティティというか,そんな感じの何かにつなげることを目指しています。
すこし飛びますが,「地理」っていう単語はもはやケッペンさんのいる世界ばかりではなく,人間の経済行動や政治や文学にまで入り込むことが出来ます。例えば軽井沢。高級避暑地として語られることはいい加減少なくなってきたかと思いますが,ちょっと前まで,例えばドラえもんの骨川スネ夫が別荘を持ってる場所であるなど,文学,ドラマ,漫画まで高級避暑地として扱われていたわけです。軽井沢はもともと宿場町で,それが衰退したところに明治期後半,外国人が避暑しに来た,このことでイメージが作られたわけです。で,イメージが出来ると真似してみようとか思うのが人の性。それに憧れて富裕層が大正~昭和初期に別荘を作りました。そして,ヒルズが出来るとちょっと行ってみようとか思うのも人の性。軽井沢は「高級」のイメージの下,寧ろ大衆化,観光地化されてしまったわけです。それが戦後,ある程度復興した後の時代で,大衆化の現実がありながらイメージだけは今でも軽く残っているわけです。
と,言うわけで軽井沢の気候という自然要素の上にあらゆる人間の行動がおかれて,我々のイメージの中の「軽井沢」が出来ているわけです。
場所というのが単に自然の要素だけでなく,多くのイメージの上に立ち,そこにさらに人は思い入れを加えるわけです。あの商店街がシャッターの目立つ通りになってしまった。そういう時に単に「変わった」ことへの郷愁ばかりでなく,そのかつての姿に残る自分の失いたくない時間や思い出と言ったものが否定された,という気持ちも含まれることでしょう。また,そういった時に鄙びた街並みなどを見つけると「何か懐かしい気持ち」になるでしょう。消えた姿を,時空を超えて別の地点に“場所”として投影しているわけです。
地図を見ていても自分のいる環境が見えてくるわけではなさそうです。街を歩き,眼を向ける中で,“場所”が明確に意識できると思います。レポートが遅々として進まないのは単にサボってるからではなく,一つの思い入れに深く食い込まないといけないからだ,と自分に言い聞かせつつ,何だかんだで“場所”探しに夢中になっているのでした。