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昔の女優さんのポスターなんかを見ると、その半分以上は何か違和感を覚えてしまいどうも気に入らないなと思ってしまう。そして、昔と今とでは美の基準がどうも結構ずれてるんだと感じる。よくある話、平安時代の絵巻物に登場する女性とて美人として描かれてはいるのだろうが、あれを現代において美しいとされる人と同じ土俵にあげることはできない。つくづく、時代によりて美は移ろうものだと思ってしまう。
しかしながら、昔のポスターや絵巻物などを安易に信じ込んでもいけない。我々が普段目にするそのような昔のもの、というのは結構選別されたものだからである。教科書やら図鑑やらに現れる昔のものは基本的に現代とは似つかぬものとして載せられている。現代と同じようなものを載せたところでそればかりでは面白くないし、それぞれの時代の特色を伝えるのには不向きであろう。そこに載せられているものは時代の常識というよりは、トレンドなのではなかろうか。
また載せられているものがトレンドにかなったものばかりであることは、その教科書なり図鑑なりがそれぞれの時代の大きな流行を伝えているに過ぎない、ということでもある。それゆえ、載せられている昔のポスターや絵巻物で昔の人々の感覚を直ちに判断するのは良くないのだろう。そもそも現代に流行となっているようなものでも自分の理解の到底及ばないものはたくさんある。渋谷系のニーチャンのポスターを見ても何一つしっくりこない。だがそれを好む人も大勢いるからこそ“渋谷系”という流行が確立しているわけで、結局自分が分からず屋なだけかよということになって、気が滅入る次第である。だがその一方でいつの時代も基本的な基準はあまり変わらないのかな、案外どの時代にいてもやっていけるものなのか、と妄想を膨らませたりもする。