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 人が何を思っているのか知るのはとても難しいことだ。言葉にしてもらったところで本当のことを言っているかどうかは分からないし、言葉が思いを正しく表しているかも分からない。結局のところ、こう思っているのだ、と自分で信じるしかない。かといって他人の言動に疑心暗鬼になってしまっては、この世で生きていくのは困難であろう。とにかくとても厄介なことなのだ。
 分からないのは他人の思うことだけではない。自分の思うことでもよく分からないことが度々ある。例えば自分が善行を行ったとしよう。しかし自分はそれが善行であると分かっており、行為そのものより人々の尊敬の眼差しを得られるであろうことを目的としている。善行を行っている最中、自分は満足感を抱いていた。自分はそれを、目的通り人々の眼を奪うことができたためだと考えるだろう。しかしそれは本当だろうか?そもそも善行を行おうとした自分は本当に最初からそんな打算を頭に浮かべていたのだろうか?
 他者から見れば自分は善行をしただけであり、その果敢な行いを鼻にかけることもしなければ、彼には善なる心があるのだと悟るのみであろう。しかし自分は二つの心があって行動を起こしたことを知っており、一体どちらが本物なのだろう、と悩み続けるのである。
 起こした行動に対する自分と他人の認識はなかなか一致しないため、しばしば厄介な問題を招く。特に自分の中でも整理のつかない行動を他人の認識によって決めつけられてしまうと、そうではないと思う気持ちと葛藤する羽目になる。それほど現実世界で行動は重たく、心は軽い。いっそ行動を起こすことで心を固めてしまうくらいの猛々しさがないと、とても満足にやっていけない。

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