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イタリアのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に日本人が書いた落書きが問題になって、「日本人て落書き好きだよねー」的な論調で、ちょっと前の東大寺の落書きなんかも掘り返しつつ語るニュース番組を幾つか見たが、確かに落書きというものは日本文化の一部とでも言ってしまえそうな気がするのだ。むろん誇れた文化ではないにせよ。
日本の都市景観には広告が溢れている、というのはよく言われるところではなかろうか。ビルの外壁、電信柱、ありとあるスペースが広告として活用され、どこに目をやってもうるさい広告から逃れることが出来ない。そんな中で、絶対に広告を載せられない場所が日本にもあって、それが文化財というわけなのだが、広告の嵐に慣らされた身にしてみれば、綺麗な文化財は「残すべきもの」というよりは「空いているスペース」としてまず映ってしまうのである。そこに落書きしたい、自分でも何か人目に触れるところに残してみたい、というのは必然的な感情であるように思うのだ。落書きは決して正しくないが、スペースに所有権を持つ日本の権利者の美的意識というのも一度問い直してみたいものだ。
日本でブログが流行るというのも、同じ文化に根ざす現象であると思う。日本に物理的なスペースは少なくても、ウェブ上であれば比較的空いている。だからとりあえずサーバを借りて、人に見られる場所に文章を残してみよう、と思うわけだが、その動機は自己表現の欲求というよりは、もっと低次の渇望に似た何かであろう。一度満たされてしまえばその欲求はしばらく満たされていられる。日本人のブログが続かない理由もまたそこにあるのだ。
参考:http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0807/04/news050.html