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7/5

 「のりをこえる」ような行動を最近皆さんはとられたでしょうか。のっけから異常なことを伺うようではありますが。とられた方もそうでない方もぜひ漢字で表記してみてください。

 

 孔子に思いを馳せた方なら、きっと正しい漢字が思い浮かんだことでしょう。吾十有五而志於學 三十而立 四十而不惑 五十而知天命 六十而耳順 七十而從心所欲 不踰矩

 という一文。懐かしいですね。最後の一文から分かるように正しくは「矩を踰えず」ですね。あ、書けるか、とおっしゃいますか。同感です。筆者も書けませんし、普段から書きません。

 

 この言葉は、「範を超えず」と書く人も少なからずいるようです。こえる、の漢字表記がいろいろあることはもうツッコみません。重箱の隅に笑われますので。でも「のり」にはツッコミを入れようかと思います。ノリツッコ(略)

 

 「矩」は、調べてみると元々は古くから使われた定規、直定規のたぐいに端を発するようです。孔子は「道徳律」の意味で用いていると解釈するのが通説のようですが。角度など幾何学的法則に基づいた秩序を測る「矩」、道徳律も要するに「真理」という意味で用いられているのでしょうね。

 一方「範」は、ご想像通り「手本」「規範」です。これは先人の為した事柄を基準としているわけです。「〜であるべきである」を示すものが「範」。

 

 「のりをこえるような真似はするなよ」と言われたときは、相手の漢字がどちらかを確認するくらいの方が良さそうだなあなどと考えました。「矩」ならば、人間たる根本から外れるなよ、というわけで、これは是非その通りにする方がよいでしょう。ここで「範」。この場合は「先人の示した規範の示すあるべき姿から逸脱すんなよ」という意味が濃くなるでしょうか。これは、釘を刺すというよりは皮肉とかアイロニーとかが存分に込められた風に筆者は捉えています。上から目線な言い草、という風に。かつ、先人の範疇に(あ、これにも範が)留まることをダイレクトに要求していてなんだか嫌です。

 

 いずれの指摘も、「話し言葉の間は全く役に立たない」議論でして、ここまで読んできた皆様を相当に裏切っていることは自覚しています。すんません。「範を超える」が常用されるのは、なんだか事なかれな印象があります。漸進していくには、「矩を超えず範を超えて」いく気持ちもいるかなあ、というのが残った雑感です。

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