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宮本輝の『蛍川』を思い出した。思い出したので、せっかくだからデイリー孝太郎の原稿に使おうと思って書棚を探したけれど、なぜか持っていたはずの『蛍川・泥の河』(新潮文庫)が見当たらない。そういえば、去年か一昨年か、友人の誰かに貸したのだった。誰に貸したか覚えてないのが我ながら間抜けだ。持っている人がいたらそろそろ返して下さい。
『蛍川』の主人公は小学校高学年くらいの男の子だったと思う。名前は覚えていない。彼には憧れの少女がいる。彼よりもいくつか年上だったか……?名前ははっきりと覚えている。英子という。
この作品の最後のシーンは、主人公が英子や家族と連れだって蛍を見に行く場面である。場所は田舎のあぜ道である。このクライマックスを私は忘れることができない。英子の体に蛍が一斉に群がる。英子は声をあげて払い落そうとするが、蛍は次から次へと飛んでくる。そして、漆黒と静寂の中に、英子の体の形そのものが蛍の光によって浮かび上がる。それは実に幻想的で、かつ不気味で、それでいて極めて官能的な光景であった。私は主人公の少年とともに息を呑んだ。
この描写によって作者は何を表現しているのか、と問われれば、おそらく「主人公の性へのめざめ」というようなのが優等生の答えだろう。たしかにそういう面は大いにあるし、少年の成長過程こそが、そもそもこの小説の大きな主題であったはずだ。しかしそれだけで片づけてしまってはなんとも味気ない。作者・宮本がなぜ蛍を使ったのかということを考えれば、私が前述したような、蛍の持つ幻想的で不気味な雰囲気、あるいは「蛍」の筆者が言うような「不安」感や「落ち着かない」感じに大きな意味があるからであろう。「蛍」の筆者が述べるように、蛍に趣深さなどない。底知れぬ切迫感、危機の前兆、残虐への衝動……静かに灯る蛍の光にはこういった「きもちわるいけどなんかきもちいい」言葉が似合うと思う。
本が返ってきたら、もう一度ちゃんと読み返してみようと思う。