孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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私事ではあるが、明日は祖母の命日である。亡くなったのはもう十五年以上昔の話で、当時ほんの子供だった私が覚えているのは、お葬式で親戚のお姉ちゃんが本を読んでくれたことと、化粧を施された祖母の姿だけである。その記憶があまりにも遠すぎて、今でもまだ、またどこかで祖母に会えるような気がしている。
ふと、魂というものがあるのだろうかと、そんなことを考える。私にはいわゆる霊感はない。昔から輪廻を信じてはいるが、こうも慌しい生活を送っていると、魂の世界の存在がひどく疑わしくなってくるものだ。
霊という概念はいつ生まれたのだろうか、埋葬という行為が始まったその時に、アニミズムが始まったその時に。もしくは、霊の存在を知った人から広まったのだろうか。いずれにせよ、そこには死せる者と絶対的な自然への畏敬の念があった。そして、無事に生きたい、災いから逃れたいという生きる者の欲望があった。
魂は時に、我々を常に監視する規範となり、時に永久に続く愛をもたらす。精神世界を信じるがゆえに宗教戦争が起こるのもまた事実である。しかし、CやOやHのかたまりとして(浅識な表現で申し訳ない)1回きりの活動期を経て土へ還る。ただそれだけの物体の、家族になり友達になり恋人になり親になるのだろうか、そして私もまたただそれだけの物体なのだろうか。やはり、私は魂を信じたい。魂があったらいいなぁ、と思う。魂の存在によって、人間、自然、自身を大切に思える。
異なる価値観から考えたならば、これはただの現代人の、というより世間知らずの子供のエゴに過ぎないかもしれない。けれど、それでもいい、魂を信じよう。私は、もう一度祖母に会える日を待っている。
ふと、魂というものがあるのだろうかと、そんなことを考える。私にはいわゆる霊感はない。昔から輪廻を信じてはいるが、こうも慌しい生活を送っていると、魂の世界の存在がひどく疑わしくなってくるものだ。
霊という概念はいつ生まれたのだろうか、埋葬という行為が始まったその時に、アニミズムが始まったその時に。もしくは、霊の存在を知った人から広まったのだろうか。いずれにせよ、そこには死せる者と絶対的な自然への畏敬の念があった。そして、無事に生きたい、災いから逃れたいという生きる者の欲望があった。
魂は時に、我々を常に監視する規範となり、時に永久に続く愛をもたらす。精神世界を信じるがゆえに宗教戦争が起こるのもまた事実である。しかし、CやOやHのかたまりとして(浅識な表現で申し訳ない)1回きりの活動期を経て土へ還る。ただそれだけの物体の、家族になり友達になり恋人になり親になるのだろうか、そして私もまたただそれだけの物体なのだろうか。やはり、私は魂を信じたい。魂があったらいいなぁ、と思う。魂の存在によって、人間、自然、自身を大切に思える。
異なる価値観から考えたならば、これはただの現代人の、というより世間知らずの子供のエゴに過ぎないかもしれない。けれど、それでもいい、魂を信じよう。私は、もう一度祖母に会える日を待っている。
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