忍者ブログ
孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
カレンダー
05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
最新CM
[02/10 編集長]
[01/04 編集部紅一点]
[06/01 なんばぁ]
[05/13 日曜担当者]
[05/10 いちこ]
最新記事
(04/03)
(11/17)
(07/21)
(02/10)
(01/01)
最新TB
ブログ内検索
[39] [38] [37] [36] [35] [34] [33] [32] [31] [30] [29]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

  私事ではあるが、明日は祖母の命日である。亡くなったのはもう十五年以上昔の話で、当時ほんの子供だった私が覚えているのは、お葬式で親戚のお姉ちゃんが本を読んでくれたことと、化粧を施された祖母の姿だけである。その記憶があまりにも遠すぎて、今でもまだ、またどこかで祖母に会えるような気がしている。

 ふと、魂というものがあるのだろうかと、そんなことを考える。私にはいわゆる霊感はない。昔から輪廻を信じてはいるが、こうも慌しい生活を送っていると、魂の世界の存在がひどく疑わしくなってくるものだ。

 霊という概念はいつ生まれたのだろうか、埋葬という行為が始まったその時に、アニミズムが始まったその時に。もしくは、霊の存在を知った人から広まったのだろうか。いずれにせよ、そこには死せる者と絶対的な自然への畏敬の念があった。そして、無事に生きたい、災いから逃れたいという生きる者の欲望があった。

 魂は時に、我々を常に監視する規範となり、時に永久に続く愛をもたらす。精神世界を信じるがゆえに宗教戦争が起こるのもまた事実である。しかし、CやOやHのかたまりとして(浅識な表現で申し訳ない)1回きりの活動期を経て土へ還る。ただそれだけの物体の、家族になり友達になり恋人になり親になるのだろうか、そして私もまたただそれだけの物体なのだろうか。やはり、私は魂を信じたい。魂があったらいいなぁ、と思う。魂の存在によって、人間、自然、自身を大切に思える。

 異なる価値観から考えたならば、これはただの現代人の、というより世間知らずの子供のエゴに過ぎないかもしれない。けれど、それでもいい、魂を信じよう。私は、もう一度祖母に会える日を待っている。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
<< 9/20 HOME 9/18 >>
忍者ブログ [PR]