孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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ライオンの赤ちゃんの可愛らしさは神がかっている。いや、神がかってるというより、多分神様によるのだろう。
ライオンはもともと人間に狩られるような動物ではなかったはずである。だからライオンの赤ちゃんが人間に狩るのを躊躇させるほど人間の眼に可愛らしく映る必要などないのだが、どうみても鳴き声も何もかも可愛らしい。私に母性本能はおそらくないから、ただライオンの赤ちゃんは可愛いのだ。また狼(だったか?)が人間の双子の赤ん坊を育てたという事例があるらしい。狼にも人間の赤ん坊が可愛らしく映ったのではないだろうか。赤ん坊というのはどうやら、餌として見る場合を除けばどんな者にも可愛らしく映る美しさがあるようである。
この美しさがどんなものかと表すのは難しいが、重要なのは全く関わりをもたないような別の種の生き物にさえも赤ん坊はその美を発揮できるということ、つまり赤ん坊の可愛いらしさはもともと他の種にも適用されうる高い応用力を持っているということである。このことから私は赤ん坊は自然淘汰の過程で徐々にその可愛らしさを洗練したのではなく、秘訣を知る何者かに可愛らしさを始原より授けられて、どの時代にも愛されてきたのだと思う。そしてそんな秘訣を知る者とは、正に神様しかいないのではなかろうか。
ということで私は一応神様を信じている。いたらいいなぁ、という程度に。可愛らしさの秘訣もできれば知りたいものだが、それはなかなか難しそうである。
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