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隣人が引っ越して、その家が取り壊されることになった。昔ながらの木造住宅だが、もうずいぶんとガタがきていたようだ。先日、その取り壊し作業が終わり、跡はきれいな更地になってしまった。ぽっかりあいた空間からいつもとは違った光が差し込み、どうも一々の勝手が悪くなる。照り返しがまぶしいのでカーテンを早めに閉めたりだとか、ぽっかりの空間に響いてしまう気がして家族の話し声が低くなったりだとか。慣れない動作が増えるけれど、それもまた新鮮で面白い。居間の窓からは、更地をはさんだ向こうの家に真っ赤な百日紅が咲き誇っているのが見える。
数日前、その窓から晴れた空を見上げると、一群のうろこ雲が目に入った。秋の空だ。地上では日中の気温が体温を超えるような猛暑日が続いているけれど、秋はもうすぐそこまでやって来ているのだろうか。そんなことを考えて、少しばかり涼しげな気持ちになった。うろこ雲が教えてくれる空の高さ。その青と白の調和に映える百日紅の花。うろこ雲は秋の季語、百日紅は夏の季語である。空の季節はひと足先に巡って、地上の我々に次の季節の訪れを予告してくれるのかもしれない。
我々に季節を感じさせるものといえば様々あるが、そのほとんどは地上の世界に存在する。山や川、そしてそこに息づく動植物たちである。だが、それら全体を大きく覆う空も、季節を映し出すものとして忘れてはならないであろう。いま私は「空が季節を映し出す」と書いたが、いや、そうではなくて、地上の四季は空が創りだすのではないか、という気さえする。
コンクリートやアスファルトがどれだけ地上を覆おうと、見上げればいつもそこには空がある。空がある限り、季節はなくならない。そんなふうに思った。
そういえば、先週も季節感について書いた。月曜日は週の始まりということもあって、なんとなく気だるいという読者も多いことだろう(私もその一人である)。そこでという訳ではないが、これから毎週月曜日は、ほっと一息つけるような季節の話題をお届けすることにしよう。