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子ども向けに世界の名作が編集、出版されることは多い。三国志やハムレット…。古今東西様々なものが平易に書き直されている。そういった形でかつて読んだ本に「ロビンソン・クルーソー」があるのだが、先日原版の日本語訳を見つけ、興味本意から上下巻を読んでみた。
スピッツの曲「ロビンソン」には「誰も触れない 二人だけの国」という歌詞があるが、ロビンソン・クルーソーといえば「無人島で、仲間はほぼゼロでの生活」がふつう挙げられる特徴だろう。読んだことが無くてもその点は知っている人も多い。しかし、その描写は五割に満たないのである。上巻の時点で無人島を脱出して、その後に中国まで至る航海、さらに陸路イギリスへ戻るという大きな旅をしている(この時ロビンソンは六十歳をこえている)。
この物語はJ・ウ゛ェルヌの書くような冒険ファンタジーと同じカテゴリーに入るものではない。なぜならその主題は「経済」と「宗教」、それも作者D・デフォーの生きた時代の特徴たる重商主義、ピューリタンの社会台頭の流れに即したものである。とりわけ小説としてロビンソンの内面を考察すると、ほぼ宗教物語である。キリスト教を信じない者は「未開」、そしてその人々にキリスト教を広めることは「明白なる天命」、という考えが随所に現れる。かつ、ロビンソンもはじめは信仰の薄い軽薄な人間として描かれ、それが「神の恵みにより」無人島で生き延び、その後の苦難も乗り越えた、と考えるような敬虔な信者になっていく。また、当時ならではの「東洋」などに対し地域的な強烈な偏見描写も、特に後半は多数見られ、(例:「日本人は嘘つきで残酷で陰険な国民だ」下巻 P311)この作品は現在の人々には、キリスト教に興味のない人はなおさら、伝わりにくいものといえる。
もちろん、当時の目線を持つか、独特の発想を評価するということであれば、充分文学として名作と言えよう。ただ、子ども向けに編集したものは、内在する宗教の大きさや偏見を覆い、毒だけ抜いた妙なものになっていて、どうもいただけないと考えてしまう。
この文で私がやりたかったことは何か。先週書いた「ウケを狙わない読書感想文」の実践である。お粗末。