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 (文学的な話でなくて申し訳ないけれど)最近絵を描くことに興味を持っている。ひとまずは写実的な絵が描けるように努力している。
 もともと落書き程度のものしか描いてこなかったので最初は特に何も意識せず模写を繰り返していたが、それだけでは一向に本物らしさが出ない。どうすれば良いかと考えるうちに、描こうと思うものをじっと眺める癖がついてしまった。しかし眺めたからといって何か出てくるわけではない。何か自分から出さねばならない。それも分かっていながら怠けて、ずっと何か出ることを期待してるうちに、今度は何でもじっと眺める癖がついてしまった。
 もし模写するならどう描いたらいいだろうと思って物を見ていると、分かりやすい形の物の並ぶ空間だと妙に落ち着き、逆にそうでない物の並ぶ空間では頭が混乱して嫌になってしまうことがある。奇妙な病気にかかってしまったものである。
 しかし例えば植物は同じような物が小綺麗に並んでいることや、建物は真っ直ぐに建っていることなど、当たり前のことが改めて実感される。ありふれたものをじっと眺めるようになったことは、改めてものへの関心を持つ機会にもつながっているので、悪いことではない。

 ただ写実的に描くのならば、写真を撮る方が早いだろうという意見もあるし、事実絵画史においても写真の登場とともにその主流は写実画から抽象画へと移っていったようである。しかしそこで問題とされているのは、あくまで描いた結果である。写実的に描こうとするその過程でじっくりものを観察することに、写真を撮るだけでは得られない意義があるのだと思う。
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