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 「長崎は坂が多いことで有名ですが、さて。長崎にある坂の中で多いのは上り坂と下り坂、どちらでしょう?」
というなぞなぞを出されて、私は見事にだまされた。そして、「上り坂は同時に下り坂である」という種明かしを聞いた瞬間に、私の感覚は新しい地平を開いた。
 自分の側からだけ見て物事を判断してしまっていることは案外多い。

 ある地点Xからある目的地Yへ行くのに異なるルートA,Bがあって、両者の距離が等しく、Aはしばらく平坦で最後ちょっと上り坂、Bは最初上って少し下がってあとは平坦、という状況があるとき。どちらから行くのがより労力を消耗せずにすむだろうか、と考えて、いやまてよ、XからYへ行く労力はXとYの距離と高低差のみによるのではないか?と考え、それならどちらでも良いかと考えたりする。
 地球上の各地点がもつ標高というステータスは各地点固有のものであり絶対的なものなのだ。

 安部公房が「鞄」(新潮文庫『笑う月』所収)という短編を書いている。ある男が自分の体力とちょうどバランスの取れた重さの鞄をいつも持ち歩いていて、それはどうバランスが良いのかというと、平坦な道なら持ち運べるが、上り坂だと重くて進むことができない、というちょうどいい塩梅の鞄で、そうなると自然と彼の行動範囲が鞄によって限定されてしまうのだが、彼はむしろどこへでも行ける自由を厭って、特になんの価値もないその鞄を常に持ち歩き、鞄に限定された生活を望んでいる、という話である。

 エッシャーが書いた、無限に上り続ける(或いは下り続ける)階段の絵は有名である。人間は地形の不自由を克服するために、エスカレーターだとか、文明の利器を生み出してきたのだなあ。そんなことに思いを馳せたりする。固有の高さを失った地形。地形を克服した地形。我々は上っているのだろうか。下っているのだろうか。

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