孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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「流音」と呼ばれている音がある。この言葉を知らない読者諸氏は「流音」と聴いてどのような音を想像するだろうか。
しかし何のことはない。日本語で言うラ行の音、英語ならrやlの音を、音声学の分野でそう呼ぶのだ。
ところで調音言語学の述語というのは、硬口蓋ナンチャラ音だとかドコドコ摩擦音だとか、その発音の作り方を客観的に分析した名前が付いているものであるが、流音なんていうのは全く聞いた"感じ"に依拠した命名であって、客観的な説明は難しい。(口を閉鎖すること無く空気を流したまま発音できる子音であるから、日本語訳でこそ意味は通るが、言語はliquidsといって液体の意である。それに、空気が流れていることを定義に使っては他の色々な音も流音に入ってきてしまう。)実際、国際音声記号では「流音」なる述語は使われていないのだが、如何せんギリシア語やラテン語の時代からずっと使われてきた言葉だけに、慣習的によく使われるのだという。
結局何が言いたいのかというと、客観的な事実にそぐわなくとも、人間の"感じ"の部分をダイレクトに掴んでしまう言葉があるのだということ。譬えという言語活動にはそれだけの可能性があるということである。
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