孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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5月の大型連休、俗に言うゴールデンウィークは部活の合宿に全て費やされてしまった。休暇によって、体を休めることができたというよりかは、むしろ普段よりもどっと疲れたような気もしている。(合宿は有意義な時間だったとは思うのだけれども。)
さて、合宿は琵琶湖の傍のユースホステルで行われた。私が泊まっていた建物は、すぐに琵琶湖の波打ち際まで出られる位置にあったので、休憩時間は、よくそこで友人たちと、
嗚呼、モーターボートに乗りたいなあ
嗚呼、このまま波に揺蕩いたいなあ
嗚呼、このまま波に流されてしまいたいなあ
嗚呼、このまま入水したいなあ
等々、つぶやき合いながら、吹いてくる風を受け、波の音を聴いていた。
波の音というのは不思議で、聴いているうちに自然と気持ちが落ち着いてくる。「1/fゆらぎ」が存在するからなのだろうけれど、私は、波の音が、まだ胎内にいたときの音に似ているからではないだろうか、と思った。
波の音を聴いていると、落ち着くと同時に、時間の流れというものが自分の中から消える気がした。それは、時間の概念というものをまだ持たずに、胎内で揺蕩っていた頃の感覚と似ていて、波の音を聴いていると、胎内にいた頃に還る気がする。私が思うに、胎内にいた頃というのは、絶対的安心感があって、だからこそ、その頃に還ることのできる感覚は落ち着くのではないだろうか。
琵琶湖の波打ち際から帰ってきて、もう2日ほど経つ。
今、もう一度あの波の音を聴きたい。
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