孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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いつも思うのだけれど、通学路の駅のホームや改札までの道の風景って、登校、下校それぞれの向きではものすごく見慣れた景色になる。
だけど一度何かの拍子に逆の方向の使い方をする、つまりいつもは電車を降りてくる所を電車に乗る所とする、そういう時、ふと違和感を覚える。見慣れた景色のはずが、あれ?ここどこ?と一瞬きょとんとしてしまうのである。もちろん、周りに悟られないくらいの、びっくりな顔であるけれど。
いつも電車を降りるホームは電車がある状態や対岸に見える状態のものであって、電車のない状態でまさに突っ立っている場所ではない。
反対に、いつもは電車に乗る方のホームに降り立っても、ぱっといつもの風景と合致しない。
これは、何らかの形で私が"いつもの風景"を"自分流"にしてしまってるからではないかと思う。つまり、まさにそのまま、"一方向"からの風景に慣れてしまって、その気は無くとも、その一方向を自分の中で定着させてしまう。
それは、物事を覚え、理解するには必要なことであり、日常生活を送る上で必要な手段であるのだけれど、やはり同時に固定観念のようなものが生まれてしまうようだ、と、見慣れた私流のホームに立ちながら思ったのでした。
だけど一度何かの拍子に逆の方向の使い方をする、つまりいつもは電車を降りてくる所を電車に乗る所とする、そういう時、ふと違和感を覚える。見慣れた景色のはずが、あれ?ここどこ?と一瞬きょとんとしてしまうのである。もちろん、周りに悟られないくらいの、びっくりな顔であるけれど。
いつも電車を降りるホームは電車がある状態や対岸に見える状態のものであって、電車のない状態でまさに突っ立っている場所ではない。
反対に、いつもは電車に乗る方のホームに降り立っても、ぱっといつもの風景と合致しない。
これは、何らかの形で私が"いつもの風景"を"自分流"にしてしまってるからではないかと思う。つまり、まさにそのまま、"一方向"からの風景に慣れてしまって、その気は無くとも、その一方向を自分の中で定着させてしまう。
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