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3/1
 先日アルバイトをしている店の先輩が社会人となるので退職することとなった。その人にはかなりお世話になったのできちんと挨拶しておきたかったのだが、都合悪くそうはいかなかったので非常に残念に思っている。
  それにしても今回のお別れはかつてなく再会の可能性の薄い別れのように感じられた。中高を通じ別れは多くあったが、いつかはまた会えるだろうという思いをどこかで抱くことができるものであった。しかし今回そのような期待はほとんどできない。それは別れる人の行き先が、無限大に広い社会という場だからである。社会は一部分を取っても膨大な人ともので溢れており、別れた人の所在は正に一点で分かっていない限り把握することのできないものとなってしまっている。偶然の力もここではあまりに弱い。一度の別れは永遠の別れ、互いの死に近い重みを持つものとなる。
 近頃このように社会の大きさを感じる機会が増えている。それを感じると同時に考えざるを得ないのが自分の小ささである。社会の大きさを意識すると、今までは多少無理を押し通してやりくりしてきたこと全てが近いうちにどうにもならなくなるのではないかという恐れを抱いてしまう。それによって今まで以上に自分が萎縮し、これまで自分が意識してきた社会ほど広くはない世界においてさえ行動に悪い影響を及ぼす可能性がある。
 そうならないようにするには今までの自分とは異なる特殊な人格形成が必要となるのかもしれない。いわゆる社会人的人格とでもいうべきなのだろうか。それが具体的にどういう人格なのかは分からないが、おそらく私自身も社会に身を置くにつれて自然に形成していくのであろうと思う。しかしその特殊な人格が社会にとって良いものであるとしても個人にとっても良いものとは限らない。
 現在私は今までの世界と社会との間を行き来している。眼には見えずともはっきりとした隔たりを持つ二つの世界の違いにもっと敏感にならねばならないと思っている。
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