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私はケーキ屋でアルバイトをしているのだが、よくデコレーションケーキにつけるメッセージを書くように頼まれる。普段は「お誕生日おめでとう」だとか「結婚記念日おめでとう」といった内容が中心だ。毎日誰かの誕生日や記念日がめぐってきて、まるで日課のように私は祝いの言葉を記していた。忙しい時だとなぜ祝い事にはケーキが必須なのかと問いたくもなる。
雛祭りの季節も例外ではなく、人々はちらし寿司やお吸い物では事足りず、桃色のケーキを買いに来る。日本独自の文化にもやはりケーキで祝うのかと、不思議な気持ちになりながらも私は手際よく次々にケーキを包んでいた。そのとき、記念日のメッセージのなかにひときわ目を引くものがあった。――「○○ちゃん、初節句おめでとう。」それはいつも書いているメッセージとなんら変わりの無いものだった。なのに、私の脳裏にはふわふわと遠い記憶が広がったのだ。きらびやかな雛壇の前には親戚や家族があつまり――その中にはもう二度と会えない人も混じっているが――私は今にも笑顔が蕩けてしまいそうな温かい雰囲気の中に囲まれている。言葉にはせずともあふれている健やかであれという願い。そこにあったのはケーキだったろうか、蛤の吸い物だったろうか、覚えてはいない。そもそも私自身に初節句の記憶が無いのだが、ひしと感じられるこの満たされた気持ちは確かなものだった。「おめでとう」のことばにこめられたあたたかな思い。きっとあのケーキを持ち帰った人もわが子(わが孫?)の成長を願い、今はそんな空気を楽しんでいるに違いない。
最近では何かにつけで文化の形骸化が叫ばれるが、その文化の形(カタ)につと寄り添う人々の心こそ文化の裏打ちだと思う。そしてもちろん初節句だけではない、誕生日も記念日もこんなあたたかな気持ちで溢れている特別な日なのだ。そんな特別な日にいつも関わっていられる自分はある意味で幸せ者なのかもしれない。そういえば去年母親になった友達が今年雛人形を買ったと言っていた、来年は私も彼らを薄暗い押入れに閉じ込めておくわけにはいかないなという気持ちになった。
追伸:月日の流れははやいもので、おかげさまで私ももう成人しました。次の桃の季節には、お久しぶりにお目にかかれると思います。