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12月もちょうどまんなかまできましたね。もう今年もおしまいですか。
年末に感じることというと、私は、誕生日を迎えるとき以上に、自分が年をとったなぁと感じます。
この世に生まれてまだ20年に達しない自分ではありますが、ずいぶんと多くの出来事があり、またいろんな感情を抱いてきました。多分これからもまたたくさんのことを身につけそして忘れて、どんどん変わってゆくのだろう、と年の暮れに思う訳です。
こういうふうに考えていると、あるいは別な場面で認識することもありますが、人間ってなかなか重たいものですね。講演会などで「人生の先輩」方が話しておられるのをきいてその言葉に重みを感じるとき、それは多分その人がそれまで積み重ねてきた経験がもとにあるその人の言葉なんだなぁ、なんてことを感じることがあります。
僕が小学生のころにきいたことなので間違いがあるかもしれませんがこんな話もあります。
レストランに入ったピカソに、店主が、簡単な絵を描いてくれと頼んだ。サラッサラッと描いたピカソに「おいくらですか?」と尋ねると、法外な金額が返ってきた。「5分くらいで描いたくせにどうして…」と驚く店主に、ピカソは、「私はこの絵を描くのに40年かかった」と言ったという。
こんなふうに考えてよいのだな、と思わされます。こう言えるようになりたい。

ある人が存在しているだけで、実に様々なものがそこに共に有ることが感じられる、時々そういう瞬間があります。

対して、事件や事故があって、誰かが亡くなったというニュースを聞くことは、悲しいかな、少なくありません。ニュースが報道されるときに、しばしば違和を感じるのは、被害にあった方の命が反映されないからでしょうか。「○人死亡」という文字に、その人の「重み」のかげはありません。
先日起こった銃の乱射事件が、あるテレビ番組で取り上げられていましたが、出演者の発言はおよそ銃規制に関する意見で、それ自体悪いとは言いませんが、もし子供が死んでたらエライことでした、みたいな言葉が聞こえたり、締めくくりの言葉が、「考えていくべき問題ですね」だったりして、一体なんの意味があるのか、という気持ちになりました。

さて、残りの2週間、無事に過ごせるよう祈りつつ、来年はさらに重くなりたいと思います。来年のことを言うのはまだ少しはやいですがね。
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