孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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学園祭で買ったパズルの本が面白くて、手放せない日々が続いている。この本は私の通う大学でパズル学を研究している、いわゆる「ビラがパズルの人」という呼び名で有名な学生が中心となって作成したもので、実に様々なパズルが収められていて楽しめる。
この「ビラがパズルの人」のブログの中に、「パズルの定石」という言葉が出ていた。その人も研究中とのことではっきりとした説明はないのだが、特定のパズルに限定せず、どんなパズルを解くにあたっても通用する考え方のことを指しているのだと思われる。それがいろんな学問に通ずる重要なものとなりうるかもしれない、ということなのだ。
うまくできたパズルを目にした時には、ややこしいはずの自然法則がわずかな記号で公式化できてしまうのと同じような神々しさを感じる。もしかするとこのパズルも何か意味があるんじゃないか、という気になる。
パズルの本質とは何かと言われると、究極の暇潰し、本来全く無意味なものだというところであろう。しかし実際パズルをしていると、そうとは思えない。パズルは現実的に何の力も持たないが、現実では得難い喜びや示唆を与えてくれる。
しかしそうした良い面はパズルを解いて気持ち良くならなければ気付くことはできない。解けなければただの時間の浪費。そういう意味でパズルはかなりギャンブル的な面がある。多くの人がパズルに魅せられるのは案外そういうありふれた理由なのかもしれない。
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