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 行間を読めと言うことをよく言われる,特に受験期。文字と文字の間にある文脈を読み取って解釈せよ,文字ではない筆者の主張を読み取れ,ということだっただろうか。

 

 これは非常にいい指摘であると思う。筆者の主張は神がかり的に瞬時に浮かんだこともあれば,検討に検討を重ねたものもある。その人のライフワークとなった文章を,文字面だけで把握は到底出来ない。本当のところは全思考形式まで知って読みたいものだが,そんなことはしていられない。しかし,行間,つまり「そこにある言葉の群」はせめて解釈しよう,となるわけである。

 

 ここで,あまり一般でないがもう一つ行間で読んでみたいものを加えたいと思う。時間である。偉そうに言っても既に実践している方がいるかも,だが…。

 

 行間は↑のようにわざと広げられる時もあるが,大抵はワープロ機能で全て決定される。文字の姿かたちはこんな風にいろいろいじくることが出来るが,行間は空けるだけ,である(しかも上の文章の場合はいらんことしたが故に余計ややこしい)その間に筆者は何をしていただろうか?筆者が同じことを喋る時にはどのくらい間が開くのだろうか?

 

 つながっている文と文が連続して書かれたとは限らない。その間に筆者はもの凄い吉報に触れたかもしれないし,訃報に触れたかもしれない。感情を込めてある文章ほど,行間の時間には何かが起こっているのである。

 

 「休符は最大の音楽である」と言うのはモーツァルトだったか。少しねじっているが,文章にもそういう「スペース」はあり,それが文章をただの主張でなく,時間を含んで筆者がじかに語るようなものに近づけているように思う。

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