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虹の色の数は日本では一般的に、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の7色だと言われている。昔は、それが当たり前の事実であると思っていたが、実際は文化によって虹の色の数は異なる。イギリスやアメリカでは、青と藍を区別せずに6色(但し学術的には7色とするようだ)、ドイツではさらに橙と黄を区別せずに5色、また民族によっては暖色か寒色かの区別しかせずに2色とするらしい。
虹は連続的に色が変化しているので、色に対する認識の違いによって、このような見方の違いが出てくる。文化や言語によるところも大きいだろうが、たとえ日本内でも、実際に虹を見たときに、虹が何色なのかを数えたなら、その数は人によって異なってくるのだろう。
目に飛び込んでくる光は同じはずなのに、その色の受け取り方、捉え方が違うというのは、なんとも不思議な気がする。自分が「青」だと認識している色を、他人は「緑」と認識することもある。一人ひとり、目に飛び込んでくる世界の色が違うのだから、人によって世界の見え方も違うのだ。漠然と人は、世界の見方を共有できると思っていたが、今、眼前に広がっている世界は自分だけのものであり、それを他人に共有してもらうこともできなければ、逆に、他人に見えている世界を自分が共有することもできない。
私は絵を描くことが好きだ。自分が綺麗だなあと心惹かれた色、色合いを思い浮かべながら、それをキャンバスに閉じ込める。自分の思った通りにその色を表現できたときには、喜びを感じる。だが、思い浮かべながら表現したその色は、頭の中からキャンバスに飛び出たとしても、他人から見れば、それはその人の「色」であって、自分の感じた色とは違うのである。