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「そんなん意味無いやん」という批判か非難かツッコミかよく分からないような発言をたまに聞きます。文脈はさまざまです。ボケでシュールなネタを使った時笑いながら言うときから、青筋立てて人差し指を突き出しながら言われる場合まで。後者の場合はかなり言われるとキツいですが。当然。
しかし、これも陳腐な励ましに多いですが「やってることは必ず意味があって、実を結ぶんだよ」とも聞きます。こちらはやっても成果が現れない場合について言われるか、悟ったような顔をした立場が上の人間がよく使います。あくまで個人の意見です。それを踏まえて、「意味が無い」とはどういう意味なのか、という問いを頭の中で弄んでみました。
蓋し、やってることにはいちいち意味があるものです。いやむしろ、人の特徴であると思いますが、どんな事物についても意味を見出さずにはいられないものです。シュールレアリスムの絵画を見たときも、理解不能、超現実的、とした後、あるときは「これは時の不確実性を暗示しているのである」と評論家が唱えたり、あるときは「これは全く理解不能で何を意味しているのかわからない。しかしこれこそシュールレアリスムの具現化なのである」などと、意味の分からないことがその意味だというようなことが叫ばれたりします。また、偶然こぼれた墨汁の染みが「蝙蝠に見える」と思えたりもします。また、ちょっと違う次元では、例えばハイキングに行ったとき、眼前に広がる自然に対し「癒し」と、自然を感じつつもさらに意味を付与しようともします。目的を付与することとは違う動きであるように感じます。「癒し」のために自然に行くことと、広がった自然に「癒し」を付与することとのずれ。
また、「意味無いやん」の場合の意味とは何でしょうか。まとめて考えると、実際的・生産的なものかどうかの一言に尽きます。本当に意味が無いならば理解すら出来ないはずです。聞いた相手は意味を(たとえ筆者の吐くシュールな駄ネタであっても)一応は状況に当てはめて理解できています。そして、それが現実においてなんら有効ではない、実際に起こり得ないことを指摘して「意味無い」と切り払っているのだと思います。また冒頭の励ましの「意味」ってのは生産的な利益がある、という意味ですよね。意味が意味するところの意味や意義を探る。
「全てに意味がある」ってのは全てに意味が付与されているわけです。逆に、原理的に意味は無いのかとも感じます(文字なんてその典型ですよね。このブログ上、ただの黒い点の集合です。)そんなことを無意味に考えた筆者の時間に意味はあったのかどうか。ただそういった意味に価値をいちいち見出す人生に意味はあるのか。人生にまで意味を求めるのか。そろそろ切り上げます。