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 教官の案内で、大学の経済学部図書室を見学する機会があった。開架と書庫の両方があって、うろ覚えの数字だが、開架には約5万冊、書庫には約46万冊の本があるということだった。

 入口を入ってすぐの開架スペースは、変哲のない「図書館」であったが、一歩書庫に足を踏み入れると、そこは独特の雰囲気を呈する不思議な空間だった。年季の入った本のにおい、靴音の響く感じ、埃っぽくよどんだ空気……どれも気分を高揚させる魅力的なものだった。

 特に興味深く見学したのが、別館にある貴重書庫だった。地下二階にあり、入口は強化アクリルの扉で固く閉ざされている。照明は、人が中にいる時以外は消しておかなければならない。さらに、地下は湿度が高いため、24時間除湿機が稼働し、書庫内は低湿度に保たれている。

 さっそく出迎えてくれたのはアダム・スミス『国富論』の原本だった。現代の書籍と比べるとかなり大型で、豪華な革装丁である。200年以上前のものにも拘らず、活字はしっかりしていて十分判読できる状態だった。この本は英語で書かれているから、私でも自分の語彙の及ぶ範囲で読解することも可能だった。

 さらに古いものとしては、トマス・アクィナスの『神学大全』があった。こちらはラテン語の本で、おまけに古い時代の装飾的な活字で印刷されているから、内容はさっぱりわからない。ともあれ、「本物だ」という感慨はひとしおであった。面白かったのは、欄外に手書きの書き込みがあったことである。この本の所有者であった13世紀の人間が、思いつきや疑問点などを書き留めたメモに違いない。彼は21世紀の学生が自分の走り書きを目にするなどと想像したろうか。

 日本のものとしては、山方蟠桃『夢の代』の写本や、福沢諭吉『文明論之概略』等があった。江戸や明治に生きていたわけでもないのに、なんとなく「懐かしい」という感情が湧いてくるのが不思議だった。

 「私は17世紀ヨーロッパの研究をしているから、その時代の書物に慣れっこになって、それより後の時代の本を見ても、割と新しい本じゃないかと思っちゃうんです。」案内してくれた教官はそう言っていた。実際そうなのかもしれない。貴重書庫には「貴重書」がずらっと並んでいる。ここにいる限り、貴重書はもはや「貴重」ではない。何かしら神々しいイメージを抱いて書庫に入った私もいつしか、中世や近世の人々と打ち解けておしゃべりしているような、やすらぎに似たものを感じていた。

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