忍者ブログ
孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
カレンダー
05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
最新CM
[02/10 編集長]
[01/04 編集部紅一点]
[06/01 なんばぁ]
[05/13 日曜担当者]
[05/10 いちこ]
最新記事
(04/03)
(11/17)
(07/21)
(02/10)
(01/01)
最新TB
ブログ内検索
[396] [395] [394] [393] [392] [391] [390] [389] [388] [387] [386]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 秋も深まり、すっかり紅葉が鮮やかに色づいて私の通う大学を美しく彩る季節となっている。どこをぶらぶら歩いてみても絵になるような風景を目にすることができるので、大変幸せな時期と言える。
 これほどに美しい風景が並んでいるとついしたくなるのが写真撮影である。やはり良いなと思ったものはずっと残しておきたくなるものだ。しかし実際私が写真を撮ることはほとんどない。携帯のカメラの性能は悪いし、カメラマンの性能も悪いからである。自分が撮った写真はいつも軸がぶれていて、見た風景とあまりに違うので、結局消去してしまう。
 上手い写真を撮るには、上手い風景の見方が必要らしい。写真を撮ることを考え、自分の目をレンズにして風景を見るのである。しかしその見方にこだわりすぎると、肝心の風景を目でじっくり見ることがおろそかになってしまうことがよくあるのだという。普通の人にとっては勿体ない話である。
 直に見る風景には必ず時間が存在する。つい見とれてしまう風景にはいつも何か他とは違うリズムが流れているように思う。あるいは自分が、流れる風景から勝手に思い描いているだけかもしれない。一方写真はある時点を鋭く切り抜いたもので、そこに時間はない。自分が持った印象が一番強く表れている瞬間が写され、それは同時に強い主張になるのである。
 自分の思う写真が撮れないというのは、両者のこういう違いを意識しないで何とかやっつけようとするからなのだろう。「うまく写真を撮る方法」はあっても「うまく見た風景を撮る方法」は有り得ないのである。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
忍者ブログ [PR]