孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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デジタル社会に警鐘を鳴らす際の一つの決まり文句として、「0か1か」の思考法はよくない、だとか言われる。人間の発想が極端になっていて、0でも1でもないその中間を認める心が失われているというのだ。
そういう傾向もあるかもしれない。しかしこの「0か1か」の解釈は、私の抱くデジタル技術へのイメージと若干ずれている。
「0か1か」を百分率に直せば「0%か100%か」となるわけだが、それでは、その中間の50%のところはデジタルは相手にできないのかというと、「110010」と二進法でしっかり表せるのである。それよりももっと微妙な42.8352%何ていうようなものだって、0と1の組み合わせだけで表現できるし、有限の立場を取ったとしても有理数ならどんなものでも表現できる。情報量を増やせばどこまでも細かく分割していけるわけである。
私が問題にしたいのは「0でも1でもないもの」というよりは、「0でも1でも"ある"もの」である。「好きでも嫌いでもない人」というのはどうでもいい。分割によっては表せない情報、「好きだけど嫌い!」というこの人間の感情をどう表現するのか、「毎日の生活は楽しいけれどどこか寂しい」といった感覚をどう表現するのかが問題である。
量子論的な世界観にも近いのではなかろうか。実験観察をした途端、言葉にした途端、情報として表した途端に、0か1かとして現れてしまうもの。数直線の外にある、この捉えどころのないものをどう表現し伝え合うのか。これはデジタル社会固有のものでもあるまい。人間が言葉を獲得した瞬間から苛まれている問題であるはずだ。
そういう傾向もあるかもしれない。しかしこの「0か1か」の解釈は、私の抱くデジタル技術へのイメージと若干ずれている。
「0か1か」を百分率に直せば「0%か100%か」となるわけだが、それでは、その中間の50%のところはデジタルは相手にできないのかというと、「110010」と二進法でしっかり表せるのである。それよりももっと微妙な42.8352%何ていうようなものだって、0と1の組み合わせだけで表現できるし、有限の立場を取ったとしても有理数ならどんなものでも表現できる。情報量を増やせばどこまでも細かく分割していけるわけである。
私が問題にしたいのは「0でも1でもないもの」というよりは、「0でも1でも"ある"もの」である。「好きでも嫌いでもない人」というのはどうでもいい。分割によっては表せない情報、「好きだけど嫌い!」というこの人間の感情をどう表現するのか、「毎日の生活は楽しいけれどどこか寂しい」といった感覚をどう表現するのかが問題である。
量子論的な世界観にも近いのではなかろうか。実験観察をした途端、言葉にした途端、情報として表した途端に、0か1かとして現れてしまうもの。数直線の外にある、この捉えどころのないものをどう表現し伝え合うのか。これはデジタル社会固有のものでもあるまい。人間が言葉を獲得した瞬間から苛まれている問題であるはずだ。
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