孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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「や」は優しい音。癒す音。「あ」を包む半母音/y/のクッションは何事も受け入れる優しさ。イ段の全てについて拗音を形成するのも、そういった人当たりの良さから。
や行の「い」というのは、母音/i/の半母音化したものにまた/i/が付くのであるから、実質的にはあ行の「い」と区別が出来ない。しかも、ヤ行で活用する動詞は、古語では「老ゆ」などがあったが、現代語では絶滅してしまっている。五十音の中でも幻の音と呼べるだろう。
「ゆ」はゆらゆらと揺れ、歪んだ夢を見るような幻想的な音。ゆっくりと暖まりゆくお湯のじわじわ。/y/と/u/の微妙な口の変化がゆっくりと空気の流れを変える。
や行の「え」は上代には「いぇ」で、発音上区別があったと推測される。しかし、ワ行の「ゑ」と違い早くにあ行と同化したために、記号を与えられなかったかわいそうな音。
「よ」は寄りつく音。それは夜の闇のように。それは世の中の余計なよしなしごとのように。いつも我々を呼ぶ黄泉の声のように。
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