孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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夕焼けがマンネリ化しないことには毎回驚かされます。日常茶飯の事々は「よほど当たり前すぎて関心を払う必要がなく,しかも合理的でマンネリ化に問題なし」か「マンネリ化を避けようと何かしら無駄な努力をする」のどちらかかと思います。前者は例えば風呂に入ったときに何処から洗うか,なんかや朝,学校やその他必要な場所への移動の経路。後者は食事のメニューなんかが代表例。
そこに夕焼け。今日は黄土色。昨日は雲の下から黄金,しかも澄んだ色。太陽の動きなんて未来永劫約束されたマンネリズム,差異といったら若干の南中高度始めとした微細な変化のみ。でもきれいです。何故かきれいです。晴れた日のグラデーションも一日違えば度合いが違い,雲も飛び方が違い。
しかしよく考えたら昼間の青空も姿かたちが違うんですよね。白っぽかったり,高さが違って見えたり。雲が一粒だけ飛んでいたり。夕焼けは時期が短いから,印象深い色だから,けっこうその違いがはっきりと分かるのでしょう。
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