孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
カレンダー
05 | 2025/06 | 07 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
29 | 30 |
最新TB
ブログ内検索
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
池上彰氏の書いた「そうだったのか!現代史」のパート2を読んでいる。池上氏は「週刊子どもニュース」でお父さん役を務めていたジャーナリスト,と言えばお分かりの方は多いと思われる。
本は現代史,およそ戦後からイラク戦争にいたるまで,特にややこしい世界の政治的問題を分かりやすく解説するものである。例えば冷戦,核開発,イスラエルといったものからアウン=サン=スー=チー氏,文化大革命やポル・ポトまで,意外と文献や正確な情報の少ないもの,むしろ何を正確とするか掴みにくいものまで,ニュース記事を主として分析している。共感を誘う池上氏のコメントもあって,キナ臭いテーマまで読みやすくなっている。
ところで,このように現代史について読む,ないし書くことがあるたびに,「同時代」という言葉が頭に浮かぶ。生きている間,他人と同じ間の時代,ということであるが,生きていることはこれを意識するには余りに平凡である,とよく感じる。
例えば,学者なんぞはグローバリゼーションの功罪を論じ,この格段に進んだ形を我々の同時代人は体験するであろうに,今はなんともお気楽に多文化主義など言われる。金融危機は世界の構造の脆さを露呈しただろうに,その意義は差し置き雇用問題である。もっとも,これは余りに切実なだけに悪いことではないのだが。
教育においても然り,学級崩壊やいじめ,不登校が広くいわれるようになり,「ゆとり教育」の名の下で学力偏重への改善が行われたかと思いきや,さっそくバックラッシュを食らったのが,我々が小学校~大学生といったところの同時代である。
PR
この記事にコメントする