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 あれは保育園の年長のときだから、14年ほど前の夏ということになる。私は祇園祭の曳初(ひきぞめ)に参加した。山鉾巡行の主役・長刀鉾を、組み立て後はじめて引っ張るのである。
 5歳の時の話であるから、記憶は断片的にしか残っていないが、いくつかの場面はかなり鮮明に思い出すことができる。
 まず、曳初に行く前に、長刀鉾とは何であるかについての説明を園の先生から受けた。長刀というのは包丁みたいなもので、空の上にいる悪いやつをその包丁で突き刺すらしい、ということがわかった。空って鉾の高さよりはるかに高いんじゃないかしら、と思って、なんとなく頼りない気がした。「おおきなかぶ」の話が引用されたかどうかは定かではないが、とにかくひとりひとりが頑張らないと鉾は動きません、と言われた。その言葉は妙に私を納得させて、私は頑張って引っ張ろうと気合いを入れた。
 当日は雲ひとつない夏空で、記録的な猛暑となった。とにかく暑かった。もう少しましな気温であれば、曳初の一部始終をもっと詳細まで覚えていたかもしれぬものを。交通規制が敷かれた四条通のアスファルトからは、ゆらゆらと陽炎が立っていた。天の悪魔を突き刺すという包丁を見ようと見上げた目を、真っ白な太陽が焼いた。
 曳綱は5歳の柔な手には太すぎた。そして粗すぎた。握った瞬間から痛かった。それでも私は負けん気を出して綱を引いた。私が引かなければこの鉾は動かない。体全体を前に倒して、両足を突っ張って、うめき声を上げながら私は一心に引いた。
 結局、私の記憶の中では、鉾は1ミリたりとも動いていない。実際には何メートルも進んだはずだが、びくともせず悔しかった思い出しか私の頭には残っていない。
 あとは、どの色も光っていない信号機をはじめて見て不思議に思ったとか、鉾の屋根に座っている男たちを見て落ちたら危ないなあと思ったとか、そんな脈絡のない「実感」がちらちらと想起されては消えてゆく。
 祭りを見て楽しむ「印象」と、祭りの中に身を置く「実感」。どちらが良いとか悪いではなく、それぞれ全く別の質感を持ったものなのだと思う。
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