孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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ある人とひとしきりメールを交わした後,送受信両方のメールを順番に読んでみると,一晩費やした会話は,想像できる思考時間を含めても,30分くらいにしかならないと感じることがしばしばあります。半分寝ながら布団の中で打った文章も口で言えば真夏の夜の夢の如し。
メールの利点は頻繁に言われているだろう野で割愛します。書き言葉と話し言葉のさも大学入試の評論付近で出てきてそうなので省略します。それらを前提としても,これほど薄く,メール独特の文法や作法に縛られ,そして金のかかるメールでの長い対話が(※考え方には個人差があります),こう普遍的に行われるのはやっぱり疑問なところがあります。
携帯会社のキャッチコピーに「つながる」という表現が豊富に出てきます。いつでも「つながっていたい」人々。内容が軽く,それでいて長時間の対話はとりあえず「つながる」のにうってつけの手段になりえましょう。あまり身の詰まった会話はしんどい。メールの特性上基本的に差しで対話。それゆえ,普段は気楽になれる形で対話をするのだろうな,という感じでしょうか。
「こういう事態は昨今の若者の心の問題の表れだ!生身のコミュニケーションの力をはぐくまないといけない!」などという気は全くありません。よく言われるこのような発言(ある種中傷ともいえます)があろうとも,止まらないばかりか大切になるであろうものがメールの長対話だろう名とも感じます。ただ,何故「つながる」キャッチコピーが共感を生むのか,本当に大切であるのだろうか,など考えれば何か出てきそうなところはあるでしょうね。
メール時の心理状況は何か思うほどに不思議に思えてきます。もう一つ根本的な「つながる」ってどういう感覚か,というところにもちょっと思いを馳せてみようかと考えています。
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