孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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今、「子供が壊れる家」という本を読んでいる。主に少年犯罪について書かれたものなのだが、確かに今の平成の世における殺人事件犯人の低年齢化は、目をそらしたくなる程の異常さである。これに関する見解や分析はメディアを通して色んな形であらわされているが、まだこれといってはっきりした答えが出され ていないのが現状であると思う。
なぜ、今子供が罪を犯すのか。これはたくさんの理由が複雑に絡み合って生じた事態であるため、確かに、上記のように分析は難しい。しかし、理由がないことには結果は生まれない。このままだらだらと、犯罪の低年齢化を見過ごすわけにもいかないだろう。
今回はまず、その理由のひとつと思われる「社会の過情報化」について考えてみたいと思う。
まず、現代は情報化社会である、これは間違いない。小学生だって、携帯を持ち、ネットの世界に没頭し、テレビに翻弄される時代である。この風潮は、「子供の権利を認める」という、素晴らしいスローガンに背中を押されて、精神的にまだ未熟な世代を資本主義市場で野放しにしてしまった結果のように思われる 。つまり、「権利を認める」の言葉を誤解して、親世代の本当の苦労、つまり「かわいい子には旅をさせる」ことをせず、勝手に都合良く子供たちを大人と同等に扱って大人と同じ環境に住まわせ、そのくせ、分厚い庇護膜の中で大事に育てた結果のように思われるのである。携帯やパソコンを買い与えるのは「大人と同等に扱って いる」からではない。親が子供に嫌われたくないからである。あるいはパソコンの長所短所を知らない世代だからかもしれない。そしてさらに現代では、酷いことに、それを子供の権利を守ることだと銘打つことができてしまう。子供が新たな世界に興味をもつことは当たり前だろう。私も友達と同じように携帯を欲しがって、たや すく買い与えてくれない親を恨んだりした。しかしだからと言って子供に要求されるがままに何もかも買い与えるのが、正しい教育なのかというとそれは違うだろう。世の親は今、たやすい方へ流されている、子供をかわいがる余り、本当にかわいがることの辛さから目を背けている。私はあの時、私をパソコンから引き剥がした両 親の苦労を思えばこそ、今になってそのことを感謝している。
・・・もっとちゃんと語りたいのだが、たぶん既にこの文は長すぎるので、続きはまた今度。いつか。笑
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