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合格発表へ向かうバスの中。お昼時のバスは利用者の大半がお年寄りである。優先座席に座っていた慎ましやかな老婦人の隣に、同じ年恰好と思しき小太りの男性が腰を下ろした。初対面であるにもかかわらず、陽気な口調で老婦人に話しかける。
「おたくお若いですなあ。おいくつですのん?」
「若いてそんな、わたしもう七十六ですよ。」
「そんな見えへんわ。それにしてもええお天気で。」
「ほんまに。午後から雨なる言うてましたけど、お日さん出てきてよかった。ところでそういうあなたはおいくつで…?」
「わし?わしはもう、そんなん、七十…二ですわ。」
「七十二?なんや、わたしのこと若い言わはるから年上かと思った。」
「まあまあ…せやけど七十代てまだまだ若いんでっせ。わしかて腰痛めとるけどそれ以外は元気や。八十になる姉がおるんですけど、まだこんなして踊りやってますわ。」
「それはよろしねえ。」
ふたりの会話は、男性がバスを降りようと立ち上がるまで絶え間なく続いた。見ず知らずのふたりの間に生まれたぬくもりは、短い時間ではあったが私の緊張と不安をやわらげてくれた。
三十分後、私は大学構内の掲示板を見て自らの合格を知り、普段より胸にしてきた決意を新たにした。「ことばについてどこまでも追究しよう」という決意、そして「ことばで伝えよう」という決意である。『孝太郎』をよりどころとしてことばを磨きたい。そんなことも思った。
なぜ私がことばについて考えるかといえば、それは私が人について考えるからである。ことばでわかりあい、ことばを超えてわかりあう。それが人と人とのあり方だと思うからである。
先刻聞いた老男女のあたたかな会話が耳によみがえる。結局そういうことなのかもしれない。そういうことだといいなと思う。