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 卒業式シーズン。各地の学校では、校歌を斉唱したりしている。
 ところで校歌なるものは、日本以外の外国ではあまり見られない風習だとか、どこかで聞いた。セレモニーに歌を、というのが和歌の伝統を引いているのか、などと穿ってみたりもしたが、国歌が世界中にあることを考えると、そういうことでもなさそうだ。
 校歌の定石としてその土地の風景なんかを織り込むことが多いようだが、日本ほど"ご当地もの"を大切する国柄も珍しいと、これも何かの本で読んだ。例えば私の育った土地であれば、盆地なので「四方の山並み麗しく」といったフレーズが入ってくる。愛郷心、というのだろうか、さと(里、郷)単位での帰属意識というのは、他の国に比べて強いのかも知れない。
 それと、学校自体を故郷と捉える風潮も強いように思う。「母校」という言い方が象徴的だと思うが、学校は社会(=父)の対極にあって、児童/生徒を保護し育てるものというニュアンスが強い。保護はしばしば束縛に感じられるが、卒業式が終わって学校に行かなくてもよくなるとどうして良いか分からないというあの感覚はやはり<母>の喪失である。
 失って初めて分かる有り難みというものがあるが、卒業式というのは母校が<父>を招来する最後の教育であると思う。気取って言えば。
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