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近頃、謝罪会見というやつが非常に多いように思う。テレビでもよくそう言われている。
きくところによれば、謝罪マニュアルなんてものも存在するらしいし、トップにいる人間には「謝罪力」が必要だなどということもきかれる。
数日前、夕方の番組で、何か問題を起こした企業の責任者(と思われる人)が、「謝罪会見」をしている映像をみたのだが、その中で、その人は、「…で、まことに遺憾であるとともに残念で…」といった言葉を発していた。すなわち、「とても残念で、且つ残念である」というわけである。いったいどういうつもりで言ったのだろうか。
遺憾という言葉は、特に政治家の口からきかれることが多いと思う。どこかであった事件について、記者が総理大臣に訊いたときなど。
この言葉は、岩波国語辞典をひくと「思い通りでなく残念なこと」とある。この意味しか私は知らないので、上の会見を見た時も「?」となったのだ。しかし、ある調査によれば、割と多くの人が、「遺憾」を「謝罪」だと思っているらしい。
上の会見での発言者がどういうつもりで言ったかはわからないが、私は謝られたとは感じない。言葉の意味は時とともに変わっていくものであるというのは確かだと思うが、少なくとも、謝罪したいなら、「遺憾」という言葉以外にもっとあると思う。受け取る側としては、基本的には、「遺憾」に誤魔化されないように、と少し思って見るくらいの方が良いかもしれない。
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