孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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会話における言葉というものは不思議なものだと思う。
たとえ一字一句として違わない文だとしても、その言葉に込められた思いによって、自分の中で生じる感覚は異なってしまうのだ。言葉を受けて生じた感覚は、その言葉を発した相手に対する自分の印象や感情に左右されることも多々あるので、非常に不確かなものではある。だが、その相手との関係を構築していく過程で、この感覚を頼りにしている部分は比較的大きいように思う。
言葉遣いというのは、円滑に物事を進めたり、相手と心地よい人間関係を築いたりするために、会話の際には気をつかわれるものだ。しかし、それは、これらが自分の気持ちの持ち様と連動している場合が多いからこそだと思う。言葉の選び方も大事だが、そこに込める自分の思いや感情も大切にしたい。
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