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 2月のことを「光の春」と形容することがあると,先日天声人語で読みました。とても興味を惹かれたので,ちょっと書いてみます。光の春。冬の寒さ厳しい2月,風は冷たく雪に閉ざされる,そんな中で光だけは暖かさを増し,そして日もだんだんと長くなる。そんな様子を表しているのでしょう。

 

 命にあふれた春という季節を,光の視座から捉えたこの表現,美しいです。命煌く,などのように輝きをもって語られるのは一般にも見られますが,それが季節の次元にまでくると面白い。命あふれる春。桜は咲き,虫は活動をはじめ,若草色の風が吹く。月並み。

 

 でも春が命にあふれるなどと言われるのはそういった月並み描写から来たものではないように感じました。火の鳥伝説のような未来永劫繰り返される命,輪廻転生,まわり続ける命,それをバックに持つからこそ春は命にあふれると感じました。命は予断無く繰り返されているわけで,でも普段実感しない。そんな中,春になると常緑の,常に形の変わらない山々のような情景に霞がかかり,はかない桜が咲き,小さい虫たちが這い出る。そしてそれ以前に光は,弱くなった冬を乗り切って再び力を増し,それを人々は無意識に感じているわけです。それらが2月からだんだんと行われ,意識的には3月4月になってようやく春を感じる,という感じです。

 

 命を語ると宗教じみて嫌ですね。でも光の春ということばからは何かそういった心象スケッチが見えてくるような気がします。

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