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じゃんけんで勝つ確率はいくつかご存知だろうか。
この質問だと、3分の1と答える人、あるいは2分の1と答える人、もしかしたらその他の答えを出す人もいるかもしれない。
今日は確率論的な話ではなく、じゃんけんにまつわる私の体験談を書きたい。
先日、私はあることを決めるためのじゃんけんに参加した。参加者は20人ほどいた。20人では多くて勝負がつかないということで、はじめに2回ほど、第三者とじゃんけんをして負けたあるいはあいこだった者を除くことで人数を減らしてから参加者同士でじゃんけんをした。そして最後まで勝ち残ったものがある権利を手にするのだが、ここではあえてその内容には触れないこととしよう(一部の人には察しがつくかもしれない)。
このじゃんけんはおよそ週に1、2回行われている。私はこの2週間で3度ほどこの「権利を得るためのじゃんけん」に参加した。その3度ともが大いに私の興味をひく結果を残した。
1回目(1日目)、私はその権利がとてもほしくて、20人以上の中の1人になれるとは思っていなかったものの、意気込んでジャンケンに臨んだ。すると続けて3度勝って、最後の数人にのこってしまった。ここで一瞬迷いが出たのである。もしホントに最後まで勝ってしまったらどうしようか、と。(自分の買った宝くじが高額当選したと宝くじ売り場で知って、その場にそれを置いて去ってしまう人がたまにいるらしいが、そういう人も、当たれと思って買っていながらホントに当たるとは思っていなくて、当たったときいたショックで手放してしまったのではないか。もしかしたら私も似たような状況にあったと言えるかもしれない)。さて、そう思ったが最後私は次のじゃんけんで負けてしまった。悔しさもあったが、なんだか少しホッとした気がする。
続いて、2回目である。このときは、勝ってもあまり魅力的な権利がもらえる訳ではなかったが、一種の義務感があってじゃんけんに臨んだ。このときの心境としては、「挑戦しないというのはなんだか惜しいから、負けてうまくあきらめられたら」くらいのものだった。そしたらうまい具合に一発で負けた。「あ、負けたな」と思ってその場を去った。
3回目、の前に、1回目2回目のことを振り返って、私はなかなか悔しい思いをしていた。途中で弱気になった1回目についても、最初から負けても良いと思っていた2回目についてでさえも、勝ちたかった、とまさに「逃した魚は大きい」の気分だった。そこへきたのが3回目である。このときは、私は勝つつもりでいた。参加者はまた20人くらいはいたが、勝とう勝とうと思ってじゃんけんに臨んだ。そうすると続けて2回(3回だったかもしれない)勝って、最後の2人に残った。1回目の経験から、私はここで気持ちを切らしてはならんと思い、勝つぞと思いながらじゃんけんをした。そしたら勝った。見事権利獲得、である。
このとき、私は少しの間、2つの意味で呆然としていた。
ひとつは自分が勝てたことの実感が少しずつわいてくる感じ。もうひとつは、気の持ちようが、まったくの運でしか決まらないと思っていたじゃんけんにも、影響するのか!と思わされたからだ。
「運も実力のうち」と言うが、これはある意味本当だな、と思わされた出来事だった。実力とはやればできる力のことではない。向上心のようなもの、前に進んでゆく力なのだろうとなんとなく思った。(文と文の間でだいぶ飛躍があるが)
と書いたは良いが、冷静に思い返せば、どうしてもやりたかったことが、じゃんけんに負けたせいでできなかった、という経験は私自身何度もしている。そうすると、今回の出来事は偶然でしかなかったと言うしかないかもしれない。それにしても、じゃんけんで決められることがらは、多数ある。もし極端に「じゃんけんが強かったり弱かったり」したら、人生変わってくる気がする。