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孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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 ある日の新聞の投書欄に、最近のセンセーショナルな言葉遣いへの嘆きが記されていました。例えばテレビ欄。「超美人女優」が「幻の素材」を使い「カリスマ料理人」が料理したものを食べて「感動」したり、一方では「壮絶な半生」のドキュメンタリーに「日本中が涙」したりしています。投書は、そういった言葉の氾濫で繊細さが失われていることを危惧していました。テレビ欄だけでなく、これは週刊誌やスポーツ新聞、活字だけでなくバラエティーからワイドショーまで、誇張気味の表現が多数見受けられると言うこと、これはこの孝太郎をご覧になる方なら一度は案じたことがあるのではないでしょうか。

 

 ところで先日、また別の新聞記事に、これまた言葉を案じた文章があり、そこでは最近の傾向として「考える代わりに感じるようになった」と書かれていました。何か二人の作家の、やはり言葉についての著書に関する評であったと思いますが、何か大変分かりやすい、有効な指摘だなと思って、今日ここに書きました。

 

 今思いつくものであっても、直接的なギャグのバラエティーがユーモアを醸す番組より前面に出てきたり、意味を成さない叫びのような形容詞を連ねるスポーツ実況が人気を博したりします。売れる本のタイトルには「9割」「99.9%」「○○力」、その他単純化、印象化された文言がみられ、タイトルが何も無くても帯に「100万人が泣いた純愛小説」「現代人必読の書」などと書いてある場合があります。

 

 本来商業主義から事を派手に見せるのはまあ分かることですが(ちょっと最近陳腐ですけど)ニュース、解説、そういった類は企業の商品を売る動きとは異なると思います。そして何より、私たちの日常会話もそうした派手さに影響を受けています。企業のCMと方向が違うと言われるかもしれません。でも、一緒です。友達と話していても「むっちゃヤバい」ことなど日常茶飯事。たいていが1日で解決します。キャラとモデルと友人まとめて「むっちゃかわいい」と評したりします。要するにフィーリングです。感覚です。伝わるんです。もう一つ、こういった表現は均一化します。みんな揃って「マジで?やっばぁ~」と嘆き、揃って「かわいぃ~」と盛り上がります。でもいいんです。感覚が伝わるんです。

 

 ちょっと前なら「日本語の乱れ」と言われたりしますが、これもまた感覚的な表現ですね。(バカの一つ覚え、とも言いますが)「何が」「どのように」「どうなる」ことが乱れで、「何が」「どのように」あったらいいのか、人によって違うかもしれません。例えば、カタカナ語が嫌われる場合、それは外来語嫌いなのか、分かりにくいからなのか、インテリっぽいからなのか…。筆者は復古的日本語再興には興味ありませんが、考える言葉が使えたらもっとコミュニケーションの広さが向上するだろうな、楽しくなるだろうな、と思ってこんなことを言うわけなのです。
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