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 神様はいるんじゃないかなぁとよく思うが、最近悪魔もいるんじゃないだろうか?と思い始めた。
 今言う悪魔とは、絶妙なタイミングでそっと手をさしのべることで、どんな状況にある者でもその者にとって最悪な状況に貶めてしまう悪戯をする存在のことである。例えば、失敗をしでかしたが、次を頑張ろうと思い直し始めた瞬間に、自分がまた失敗をしていることに気付いて、一層へこんでしまう。こんなことがあると、最早自分のせいでなく別の力が働いていると思いたくもなる。
 かのキリストは修行中に自らのもとを訪れ、様々に誘惑し彼の神に対する愛を崩壊させようとした3匹の悪魔を、その不屈の精神力をもって見事に退けたという。私も悪魔を退けるために強い精神を持たねばならないのだろうが、キリストのようにいくはずもなく、悪魔に為されるがままとなっている。
 ところで私の中では神は創造主であり、悪魔が最強の悪戯っ子のようなものであるのだが、この2者の対照的なところは人間に対する関心である。神は人間を造ったが、それから後はほったらかしである。一方悪魔は人間の心に積極的に関わり、かき乱そうとしている。悪魔は我々に興味津々なのである。かのマザー・テレサは無関心こそが最も悲しいことだと仰った。我々はもしかすると永遠に神の愛を受ける
ことはできないのかもしれない。しかし我々に関心のある悪魔は、もしかするといつか我々を愛してくれるのかもしれない。そうすれば、神様なんかよりずっと心強い味方となるのではないだろうか。悪魔だけに信用しきれないものだが。
 そんなことを思って、悪魔からの善意を期待する日々を送っている。
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