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そのとき一番書きたいこと、心の中を大きく占めているもののことは、存外書けないものだな、と思う。
 以前、文章が書けないということを書いた。そのときは、言葉が浮かんでこないために書けない、と書いたが、逆もまたそうなのだと思う。言葉が次から次へと浮かんできて、書けないのだ。
 文章を書くときには、普段考えていることや、ふいに考えを廻らせたことを書くのが、私にとって一番すんなりと文章を生むことができる方法なのだが、普段考えていることでも、それが自分にとってあまりに大きいものだと収拾がつかなくなる。頭が物凄い速度で回転し、次から次へと考えとしての言葉が浮かんでは消えていく。関係なかったと思っていたこと同士が結びつきはじめて、始めに書こうと思っていた範囲のことから、もっと大きな範囲へ、もしくは、もっと違った範囲の話へ思考はとんでいき、そのうち思考に手が追いつかなくなる。その思考がある程度自分なりの結論なり、帰着点なりを見つけて、まとまりを見せたときはまだいいが、それさえも見つけられずに、ぐるぐると思考の渦に呑み込まれれば、もうおしまいだ。こうなったら思考を形にするのはなかなか難しいし、たとえできたとしても、あまりにまとまりのない、長大なものになるだろう。
 普段は、たとえ思考の渦に呑み込まれても、その途中にある何かを取り出して、ちょうどいい長さのものにしてしまうのだが、たまに何か物足りなくなる。この物足りなさを生むのは、恐らく、自分の中にある、この思考の渦を全て表現してしまいたいという欲求なのだろう。いつかこの大きな思考の渦を飼い慣らした上で、文章に限らずとも、何かしらの形にしたいものだ。
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