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不意の出来事、些細な出来事、時の流れ、そういったもので、ごく当たり前だと思っていたことが、儚くも当たり前でなくなってしまうことが、私にとって一番辛いことなのかもしれない。

ドラマや映画を見ているとき、本を読んでいるとき、日々の生活を送っているとき、何によって、胸を締め付けられるように感じたり、涙が溢れ出してしまったりするのかを考えていた。
高校三年の夏休み、ある映画でぼろぼろに泣いた。映画の主人公が、ちょうど自分と同じ高校生で気持ちが同調しやすかった、というのもあるかもしれないが、主人公が、いつも隣にいた人ともう二度と会えなくなってしまう、そのことが、とにかく自分でも驚くぐらいの涙を流させた。
 このときのことや、それより以前の経験から、私は「別れ」というものに弱いのだろうかと思っていたのだが、考えを廻らせながら、「別れ」そのものに弱いというよりは、むしろそれによって引き起こされる「日常の崩壊」というものに弱いのではないかと思った。
 こう考えると、高校三年の二月頃、時折、不意にわけもなく泣きそうになっていたのは、(時期的に情緒不安定だったということも勿論あるだろうが、)目前に迫る卒業式によって訪れる「日常の崩壊」を感じていたからかもしれないと思える。
 小説などには、よく、同じことが繰り返される毎日に退屈を感じる人物が登場するが、自分は存外、この「同じことが繰り返される毎日」が大切なようだ。実のところ、同じことが繰り返される「ように感じる」だけで、同じことが繰り返される毎日など存在しないというのが私の考えではあるが、それでも、同じように感じる、当たり前だと思える、そんな日常が私にとっては大切で、また、そんなふうに思える日常を過ごせていることを幸せに思う。
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