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 ただ今試験期間中です。普段のツケが溜まっており必死に?勉強しているわけですが、それにしてもいつも思うのは、どうして講義に出席している間は全然面白くもなかったようなものが、試験前に勉強してみるとこんなに面白く感じられてしまうのか!ということです。作業的に頭に入れていくべき試験期間中になってようやく、講義をもっと真面目に聞いていれば良かった、と後悔するのはいつものことです。
 どうして講義の中で気付くことができなかったのか?と前々から疑問に思っていましたが、先日ネット上の記事で漫画を単行本あるいは雑誌で読む場合の味わいの違いについて考えているものを読み、ちょっと答えが見つかった気がしました。
 その記事では、雑誌で読むとイマイチなのに単行本で続けて読むと面白い漫画というのがあるが、それは各話ごとの関連性が他の漫画よりずっと強く、前の内容がしっかり頭に残っていればいるほど理解が深まり本当の面白さが分かるからだ、と述べられていました。なるほど確かに物語が複雑な構成になっているほど、全体が把握できているとその出来映えに感動するものです。
 そして講義の内容もまた物語であるのだと考えれば先の話はよく当てはまります。特に大学で扱う学問などというのは複雑極まりないものばかりで、一部だけ切り抜いても飛躍のし過ぎでとても理解も納得もできない。けれども必ず内容は関連性をもって展開されているわけで、それを最初から見通すことができるならよくよくまとまった形のものになっていることが分かるのです。試験前に短期間で通して内容を振り返るのはそれと同じことをたまたまやっていたということなのでしょう。
 内容がちゃんと関連している以上、どの回の講義も過程として重要なことを伝えてくれているはずなのですが、私はそれを重要と認識できないから面白いと思えない。こういう鈍感さが自分は学問に向いてないなと思う原因だったりするわけです。
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