孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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このところ夕立の降る日が多い気がする。突然にやってきてふと気がつけば止んでいる。その刹那性が我々の心をつかみ、いろいろな考えをめぐらすきっかけを与えるのかもしれない。私は「夕立」を読んでそのような思いを新たにし、筆者の感受性に感服したのだった。
とくに、夕立の音に関して、時間の流れを変える性質があることを指摘する部分が印象に残った。友人との会話が切り替わるというのも言われてみればその通りだし、自分ひとりでいるときも、一息ついたり何かに取り掛かったりするきっかけになることがしばしばだ。
ひとりで部屋にいるときは、わざわざ窓を開けることもなく、ただ夕立の音のみを聞く。そうすると、街の音がする、という気がしてくる。雨粒は、無差別にいろいろなものを叩いては散る。私のうちの屋根瓦、隣のガレージのトタン屋根、道路のアスファルト、マンホール、街路樹、野良犬の背中……。すべてがひとつになって聞こえてくるのである。
雨は、天空からの水の落下というそれだけの現象だけれど、地上に何が待ち構えているかによって奏でる音楽は変わってくるはずだ。この夕立が隣町に去って行ったら、そこではどんな音がするのだろう。ヴェネツィアに降る雨はどんな音がするのだろう。ジャングルの雨はどんな音がするのだろう。
夏の夕立は確かに憎まれっ子かもしれない。しかし、梅雨時とか冬のはじめの雨と違って、笑い飛ばせる程度の憎まれっ子である。突然降られてびしょ濡れになってもご愛敬。体を乾かしながら、自分の街の音に耳を傾けてみるのも一興である。
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