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8/7
一瞬前の自分は、もう自分ではない、と感じることがある。

 私は、大学に通うにしても、バイトに行くにしても、長時間電車に乗っていることが多い。読みたい本があったり、何かやらなければならない課題があったりする場合を除いて、電車の中ですることといったら、空想に耽るか、考え事をするか、寝るか、の三択である。
 電車の中で、空想に耽っていると、思いがけず、自分で、おお、と思うようなことをひらめくことがある。これは創作に活かすことができるぞ。帰ったら形にしてみるかな。――そんなことを思いながら自宅に戻って、いざ形にしようと思っても、ひらめいたときは一種の感動のようなものさえ覚えたはずのことが、ちっとも頭に浮かばなくなっている。
 電車の中で、考え事をしていると、自分でも納得のいく結論に到達することがある。ああ、うん。成る程。これからの自分の教訓になるな。――そう思ったはずなのに、次の日の同じ時間、同じ電車の中で、同じことをぐるぐる考えていたりする。
 電車の中で、寝ていると、眠りが浅いからか夢をよく見る。夢というのは、大抵が、因果関係がめちゃくちゃなものなので、話の筋もなにもあったものではないが、時折、物事と物事が、自分が普段考えているときには思いもつかないような結びつきを見せて、面白い、と感じることがある。ああ、これももしかしたら、創作の種になるかもしれないな。――そんなことを思いながら、自分の意識がはっきりしてくる頃には、ただ面白かったという自分の感情しか残っておらず、肝心の夢の内容は全く思い出せない。
 
 以上が、一瞬前の自分は、もう自分ではないと感じるときである。どれもこれも、自分で考え、思い、処理したはずのことであるのに、ちっとも思い出せなくて歯痒い。一瞬前の自分の心、頭にあったものが、他人のそれと同じように、全くわからなくなる。

 ある日、いつ書いたかのかもわからない自分の走り書きを見つけた。読んでみると、過去の自分が確かに書いたことであるのに、他人の考えを知ることのできたときのような、新鮮さがあった。一瞬一瞬の自分の考え、ひらめき、思い。自分の中で、思い出せるのはほんの一握りだ。しかも、思いついたそのときの、そのままの形で、自分の中に留めているつもりでも、時の経過と共に、それはどんどん変容していく。けれど、見つけた自分の走り書きにあった自分自身の考えは、思いついたそのときのまま、確かに残っていた。

 私は、最近、鞄の中に常に小さなノートブックを忍ばせている。
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