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卒業・入学・進級・就職・・・夏秋冬と一巡りして迎える春というのは何か特別なものがある。
私も昨日は大学の合格発表の日だった。たとえば私がそうしたように、ちょうど去年の今を思い出したり、今まで歩いてきた道を振り返ったりと、多くの人はそうするのかもしれない。
秋のある日この文芸誌にお礼と別れを告げて以来しばらく、きっといろんな人がこのサイトを訪れそうしてまたこのデイリー孝太郎に私の知らない(知っているかもしれない)人々が素敵な文章を綴ってくれた。その期間はまるで私の中の空洞のようでもあったし、一方で私を形作る根源的なもののようでもあった。時が流れているのか私が年代記の中を歩んでいるのか時が一定の尺度なのか、そんなことは分からないけれど、一巡を終えたこの春に時を経るという一種の無常を感じている。そしてまたこうやってデイリー孝太郎の原稿を前にしてつらつらと、時にはうんうんと唸りながら筆を進める喜びを噛み締めている。
春というのは秋の切なさや冬の寂しさをも超えた、あるいはそれらひっくるめたノスタルジックな季節なのだろう。出会いと別れ、生と死、暖と寒・・・マーブル模様に混ざり合う対極が織りなす春の色にはいつも胸を締め付けられる思いがする。きっとこんな時、「よし、頑張るぞ。」と思えば春風は背中を押してくれてしゃんとさせてくれるし、「ありがとう、楽しかったよ。」と思えばほのかな花の香りが涙を誘ってくれる。「何でもいいんだよ。」と私の肩の荷をそっと降ろしてくれる春さんはなんとも不思議な御仁だ。
本当は今日の記事は優しさについて書くつもりだったのだが、気付けば春さんに流されていた。まぁ、それもいい。