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バスに乗り込むとまず整理券を取る。そこには「3」だの「8」だのといった数字が書かれていて、降りる際にバス内前方の電光掲示板(?)に書いてある番号と自分が持っている整理券の番号とを照合すると自分の払うべき運賃が分かるというシステムである。これはつまり、長い区間を移動するというのはより大変な労苦であるから、その代わりに走ってやってるサービスの代償はそれだけ高くつくんだぜ、という論理で、乗車距離と運賃に或る程度の比例性を持たせてあるわけだ。
その比例の論理には何の異論もないのだが、私の危惧するところでは、この整理券システムでは恐らくズルができてしまう。つまり、運転手も余程車内が空いているときを除けば、それぞれの乗客がどの停留所で乗ってきたかを覚えられないので、実際自分が乗ってきた区間のそれよりも安い運賃を払って降りていっても運転手は気付かないだろう。恐らく。
ところが運転手の記憶力が良かった場合。
「ちょっとちょっと、お客さん何処から乗られました?」
「え?あ……あっ、す、すいません」
「だめですよ、ちゃんと乗った分払ってもらわないと。どうしてこんなことするんです。」
「だって私以外の人が全員ズルをしていて、私だけが馬鹿正直に正規の運賃を払っているとしたら、何とも阿呆らしいお話ではありませんか。私は私の正義を確かめるために、敢えて一度だけズルをしてみることで、運転手さんが気付くかどうか試したのです。」
このダイアログは勿論私の妄想であるが、ズルができるかもしれないというのは、誰の脳裏にも少しはよぎる想念だろう。この場合、私をズルへ向かわせたのは、私の猜疑心。そして私の猜疑心とは規則を疑う心である。古代中国、荀子の思想では、人間は生まれながらにして悪であるから法でもってこれを規制すべきである、ということになっていた。ところが、法なるものは破ることを我々に誘惑するような性質をどこかに持っている気がするのである。