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 また嗅覚の話を蒸し返しますと。
 「にほふ」という単語は、高校のときに使っていた古典単語の本には確か「つやつやと照り映える美しさだ」とか何とか、長ったらしい語義が書いてあって、とにかく視覚的な美しさを表す形容詞なのだと書いてありました。すると、昔々の日本語には嗅覚情報を表す言葉は「かをる」しかなかったことになりますね。
 ただ、源氏物語の匂宮という登場人物が、薫に対抗して着物に香を焚きしめていることからその名で呼ばれている、ということもありますので、千年前には既に「にほふ」も嗅覚情報を表し、「かをる」と併せて、嗅覚の何か二つの側面を表していたということは間違いないでしょう。
 勘の良い方はお気づきだと思いますが、薫は「かをる」という嗅覚に重なりますし(薫は生まれながらに良いかおりを放っていたらしいです)、もっと遡って光源氏だって「ひかる」という視覚情報を表しています。
 嗅覚とか視覚だとか漢語を使うのも窮屈になってきました。「ひかる」も「かをる」も「にほふ」も人から出る美しさを形容する言葉として同一線上に扱われているのでしょう。現代のように画面を通して何ものをも見る文化においては忘れてしまいがちですが、何かが見えるということは、その臭いや香りが届くことも当たり前に伴うのです。
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