孝太郎編集員と、ゲストの方とで、かわるがわる記事を書いてゆきます。孝太郎本体に関するお知らせ(ex.第○号を出しました!)をここですることもあります。
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アンサイクロペディアという、ウィキペディアのパロディサイトがあり、百科事典の形を借りて、全くのでたらめばかり書いてあるとんでもないサイトなのだが、その中にも時に面白い発想が転がっていたりする。
今回私が引用したいのは「人間が勝手に作った円周率」の項。(アンサイクロペディアの世界では「3」が本当の円周率ということになっているので、こちらの世界の円周率をいうために敢えて「人間が勝手に作った」としている。)
「この数列には全ての(暗号化された)データが含まれる。当然、著作権で保護された音楽のデジタル情報も含まれている。人間が勝手に作った円周率さえiPodに入れておけば知らない曲も合法的に入手できる。(再生するためにはそのデータが小数点以下第何位から第何位までに当たるのかを覚えておけばよい。)」
勿論、そんなデータがあったとして、iPodに入ろうはずもないし、本家ウィキペディアの「円周率」の項によれば「現在 π は 1兆桁を超える桁数まで計算され 0,…,9 がランダムに現れているようには見えるが、この状態がこの先の桁でも続くかどうかは分からない」というわけで、円周率が無限に周期性なくランダムに続くかどうかは分からない。しかし、ランダムでないとも証明はできていないわけで、円周率にこの世の全ての情報が詰まっているというのは夢のある話ではあると思う。
同様にスケールの大きい話で、ニーチェの「永劫回帰」という思想を紹介したい。
私とてあまり詳しくはないが、素人なりにまとめてみると、「この世にある物質が有限で時間が無限であるならば、今現在と全く同じ状況が無限の時間の中のどこかに再び現れるはずだ。」という考え方である。
思想史的な意義は置いておいて、この発想そのものに注目すると、円周率がランダムであるのかという議論とかなり近しいものを感じないだろうか。
円周率に表れる素材は0~9という有限の数字である、これが本当に周期性なく永遠に現れてくれるのか。それは、この世界が、この人生が、本当に一回限りのかけがえのないものとして経験されているのか、と問うことに非常に似ている。ニーチェは、円周率にあらゆる音楽ファイルを詰め込むことは出来ない、としたことになる。それでは「あらゆる音楽ファイル」というものは無限にあるのだろうか?
…思考の中で有限と無限は激しくせめぎ合い、我々の生だけが哀しいほどに有限である。(といったらニーチェに否定されてしまうのでしょうけど)
今回私が引用したいのは「人間が勝手に作った円周率」の項。(アンサイクロペディアの世界では「3」が本当の円周率ということになっているので、こちらの世界の円周率をいうために敢えて「人間が勝手に作った」としている。)
「この数列には全ての(暗号化された)データが含まれる。当然、著作権で保護された音楽のデジタル情報も含まれている。人間が勝手に作った円周率さえiPodに入れておけば知らない曲も合法的に入手できる。(再生するためにはそのデータが小数点以下第何位から第何位までに当たるのかを覚えておけばよい。)」
勿論、そんなデータがあったとして、iPodに入ろうはずもないし、本家ウィキペディアの「円周率」の項によれば「現在 π は 1兆桁を超える桁数まで計算され 0,…,9 がランダムに現れているようには見えるが、この状態がこの先の桁でも続くかどうかは分からない」というわけで、円周率が無限に周期性なくランダムに続くかどうかは分からない。しかし、ランダムでないとも証明はできていないわけで、円周率にこの世の全ての情報が詰まっているというのは夢のある話ではあると思う。
同様にスケールの大きい話で、ニーチェの「永劫回帰」という思想を紹介したい。
私とてあまり詳しくはないが、素人なりにまとめてみると、「この世にある物質が有限で時間が無限であるならば、今現在と全く同じ状況が無限の時間の中のどこかに再び現れるはずだ。」という考え方である。
思想史的な意義は置いておいて、この発想そのものに注目すると、円周率がランダムであるのかという議論とかなり近しいものを感じないだろうか。
円周率に表れる素材は0~9という有限の数字である、これが本当に周期性なく永遠に現れてくれるのか。それは、この世界が、この人生が、本当に一回限りのかけがえのないものとして経験されているのか、と問うことに非常に似ている。ニーチェは、円周率にあらゆる音楽ファイルを詰め込むことは出来ない、としたことになる。それでは「あらゆる音楽ファイル」というものは無限にあるのだろうか?
…思考の中で有限と無限は激しくせめぎ合い、我々の生だけが哀しいほどに有限である。(といったらニーチェに否定されてしまうのでしょうけど)
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